温泉物語

現地編集者の上原和夫氏による

写真提供久保田真一

大航海時代の伝説

野沢温泉の熊野手洗湯には、次のような経典が残されています。「奈良時代、猟師が傷ついた熊を追ったところ、傷口に温泉が流れているのを発見した。その昔、そこに住む人々は、特別な力を持つ温水である温泉を、神からの贈り物だと信じていたのだろう。このように動物によって発見されたという伝説のほかに、小菅山を訪れた名僧・行基が温泉を発見し、それを人に教えたという伝説もある。また、山伏が修行中に発見したという伝説もある。

昔は、今の村の少し西の「古屋敷」と呼ばれるところに住んでいて、温泉が発見された後に移住してきたそうです。河野家の祖先は「寺湯」、富井家の祖先は「大湯」に移住したと言われている。

戦友に愛される

鎌倉時代初期、この地を治めていた武将・市川は、温泉「湯山」に関連した地名が記録に残っています。また、同地は山麓の地形から「湯沢」とも呼ばれていた。この地は

武士が傷を癒すために通った大切な場所。

その後、戦国時代には、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が、北信濃一帯で川中島の戦いと呼ばれる合戦を繰り広げた。

1557年、上杉謙信は武田信玄と戦うために李山城に進出したが、その前に小菅寺に参拝し、祈りを捧げた。

あの北の山に温泉があるんだ。

野沢のサポーター、市川とわかを癒すことができる。"

上杉の軍勢から「野沢温泉」を守り、リヤマに追い返したのは偉業だ」という書状が残っていることから、上杉はその場所を目指していたようだ。これが記録に残る「野沢温泉」の最初の記述である。

これは温泉周辺の「川中島の合戦」の一つである。戦国武将にとって、温泉で武士の傷を癒し、いつでも戦えるようにしておくことは非常に重要なことであった。