現地編集者の上原和夫氏による
写真提供久保田真一
野沢菜の起源は、建命寺の僧・円瑞が1756年に京都での修行の帰りに、京都や大阪の特産品である天王寺蕪の種を持ち帰ったと建命寺の言い伝えでは言われています。その種を寺の畑に植えたところ、天王寺蕪とは異なる、根が小さく葉柄の大きな野菜が収穫されたといわれています。
標高600mの野沢温泉は、雪がたくさん降る寒い高地です。西国の暖かい土地で育った天王寺蕪が、急激な環境の変化に反応し、野沢菜が誕生したといわれています。現在の天王寺蕪と野沢菜の写真を見比べると、似ている部分もあるが、蕪の大きさや葉柄の大きさにも違いがあることがわかります。
この偶然がきっかけとなり、大大阪府天王寺カブ協会と野沢温泉村との交流が深まり、先祖から受け継いだ伝統野菜への感謝と両者の絆の証として、記念碑が建立されたのです。
最近の研究では、新しい環境に突然対応したことに加え、天王寺カブと別の地元の種との交雑があり、天王寺カブの子孫ではなく、形の違う耐寒性のある野菜の一種であるという説が有力になってきました。
この野菜は本来、野沢菜とは呼ばず、カブナと呼びます。道祖神祭りで煮た小豆で占った記録では、カブナの作柄も占っていたようです。最も古い記録では、江戸時代末期の文久2年(1862年)の手帳に記されています。春ウグイスナ、カブの種、秋カブなど、カブナにまつわる名前が記されています。僧侶が種を持ち帰ってから約100年経って、ようやく野沢での植え付けが史料に記録されるようになりました。興味深いのは、春ウグイスナがカブナの種と一緒に出てくることです。江戸時代末期、カブナの種を売るための生産が盛んになり、このころの温泉客の増加と関係があると考えられています。
明治8<span>年の野沢温泉村の物産取引記録には、かぶな</span>2,810<span>束、かぶなの種</span>8石5<span>斗が記録されています</span>。<br>
昭和53年の『長野県町村誌』によると、<span>豊郷村の生産量はカブナ</span>3,790束、カブナ種子9石5斗で、<span>野沢がほぼ全量を占めていました</span>。また、<span>カブナはほとんど自家消費であり</span>、300束<span>を飯山町に納入されました</span>。一方、<span>カブナの種子は</span>1石5斗が自家用で、残りの8<span>は越後高田町(現上越高田市)に納入されました</span>。<br>
カブナの種子の生産の大部分が販売目的であるほど、野沢菜の栽培が盛んであり、その種子を介して他地域に広がっていることが明らかになりました。
建明寺の南に隣接する宝泉寺で採れるカブナが最も良いとされ、そこで採れた種子を宝泉寺種と呼び、評判になりました。
それ以来、種子の純度を保つために、種子を混ぜないように配慮されています。
野沢温泉は、江戸時代から湯治の里として近隣の住民や越後方面からも知られていました。漬け物の味が最もよくわかる冬場は温泉客も少なく、秋の温泉客はおひたしや浅漬けは食べても、野沢菜の本漬けはあまり食べる機会がなかったと思われています。
野沢菜の種をお持ち帰りいただくお客様が増えたため、野沢温泉村では早くから野沢菜の種づくりに取り組んできました。
1933年(昭和8年)、「かぶな」から「野沢菜」に改名されました。これは、生産量と人気が高まるにつれ、村外の人が野沢のおいしい野菜という意味で「野沢菜」と呼ぶようになり、地元の人もそれに応えて「野沢菜」と呼ぶようになった為といわれています。
カブナからノザワへの名称変更も、野沢温泉のスキー観光と関係がありそうだといわれています。冬場、スキー客が野沢菜漬けの味を知り、野沢菜と呼ぶようになったのかもしれません。しかし、カブナ、カブタネという名称は今でも残っており、建命寺では現在もカブナ、カブタネという名称が使用されています。村内でもこれらの名称を使う人がいらっしゃいます。
江戸時代、<span>野沢菜の種は温泉客に土産として買われ</span>、<span>大正末期から昭和初期にかけてはスキー客が増え</span>、その結果、<span>野沢菜はおいしい漬物として全国に知られるようになりました</span>。それまで「お菜」「おはぎ」<span>と呼ばれていたものが</span>、やがて「野沢菜」<span>と呼ばれるようになったのです</span>。<br>
野沢菜の種まきは、8月27<span>日ごろから始まります</span>。近年は9<span>月上旬に種を蒔く家庭も増えています</span>。種をまいてから3日ほどで芽が出る。5〜6日後、1回目の間引きが行われます。<span>この苗を熱湯にさっとくぐらせて食べるのですが</span>、野沢の人たちは「鯛の刺身よりおいしい」と、<span>シーズン最初の野沢菜を大切にしています</span>。間引きは10月中旬まで5回<span>ほど行われ、取り除いた苗は野沢菜のおひたしや浅漬けに使われます</span>。<br>
11月上旬から中旬にかけて、1メートルほどに成長した野沢菜を採取し、温泉で洗われます。初雪が期待できる時期ですが、野沢菜は村人によって外湯で丁寧に洗われます。野沢菜を温泉で洗うと、虫がいなくなると言われています。
<span>洗った野沢菜は大きなバケツに入れられ、各家庭の習慣で漬物にされます</span>。<span>新年を迎え、ちょうど道祖神祭りが始まる頃、美味しい野沢菜漬けが食べられるようになります</span>。<br>
4<span>月中旬を過ぎると</span>、<span>残雪の下から開花直前の野沢菜の花</span>「とかち菜」<span>が若芽を出し始めます</span>。<span>野沢温泉では、この若芽が春の味覚として親しまれています</span>。<br>
野沢菜は主に漬け物にして食べます。もともと野沢菜は冬の季節を乗り切るためにいろいろな保存方法が試みられており、これもその一つでした。野沢菜にはいろいろな食べ方があります。
野沢菜を短期間だけ漬けたもので、色は青く、歯ごたえのある食感が特徴です。
野沢菜は12月中旬に琥珀色になり、柔らかな丸みと深い味わいが特徴です。空気に触れると酸化して味や色に影響が出るため、一口で食べる量はその都度漬物鉢から取ります。人それぞれこだわりはありますが、根元に近い部分は歯ごたえがあり、人気が高いといわれています。
家庭によって味付けは異なりますが、野沢菜を3〜4cmのブロック状に切り、塩昆布と唐辛子を混ぜ、醤油、みりん、砂糖、酢で作った漬け汁を加えたものです。その上に軽い重石を乗せます。
野沢菜を漬けてから2ヶ月ほど経つと、乳酸発酵により酸味が加わり、食べごろとなる。これ以上発酵が進むと、野沢菜の風味が損なわれてしまう。少量のごま油で炒めておにぎりの具にしたり、チャーハンやパスタに混ぜたりするのもおすすめです。また、日本酒で煮込んでも美味しくいただけます。