野沢温泉スキー場の歴史

現地編集者の上原和夫氏による

野沢温泉のスキーの歴史を振り返ると、1912年に向林で初めてスキーというスポーツが住民にお披露目されました。そして、後の1922年に最初のスキージャンプが行われたと記録されています。
1923年の関東大震災で全国的に不況となりましたが、1924年から25年にかけては、オイナス山(現在の日影ゲレンデの頂上)と日影に常設のスキージャンプ台が設置されました。1929年の世界大恐慌の際には、ジャンプ台を改修し、ノルウェーから選手を招き、国際大会が開催されました。

スキージャンプ

もともと、日本は独自のスキースタイルを持っていましたが、1930年、オーストリアのハンス・シュナイダーがアルペンスキーの技術を村に紹介したことから、さらなる発展を遂げました。その後、第5回明治神宮スキー大会が村内で開催されました。その後、全日本大会や全日本学校対抗戦、シュナイダーカップなど、すべて野沢温泉で行われるようになりました。戦後は、1950年(昭和25年)に日影に第1リフトが完成し、長野県スキー大会など、さまざまな大会が開催されました。1954年に第2リフトが完成し、野沢温泉のスキー大会には世界各国から選手が集まり、特にフィンランドのスキージャンプ選手の活躍で、村は異文化交流の中心地となりました。

野沢温泉 - 一年中楽しめる異文化交流センター

1959年に第3リフトが完成し、1963年にはさらに3基のリフトが増設されました。この頃、日本経済の高度成長期と重なり、都市部から夜行バスで大勢の若者がスキーツアーに訪れる「第一次スキーブーム」が到来した。 その後、1970年代のオイルショックに見舞われたが、野沢温泉は投資を続け、国民体育大会を誘致するなどして、乗り切りました。1979年には、当時東洋一のゴンドラが開通した。この頃、第2次スキーブームがあったが、1990年のバブル崩壊とともに終焉を迎えました。

夜行バス - 日本を縦断する人気の移動手段

1995年のインタースキー(国際スキー指導者会議)、1998年のオリンピックに向けてスキーインフラに多額の投資を行ったが、客足は伸びず、2005年には飯山市との合併論が出るほどでした。 同年10月には、野沢温泉スキー場が村営企業として正式に発足されました。この頃からインバウンドのお客様にも野沢温泉が知られるようになり、2007年には、村内の宿泊施設17軒が集まり、インバウンド振興のための協会が設立されました。その後、2009年の金融危機、2011年の東日本大震災にもかかわらず、インバウンドの宿泊客は10年間で10倍に増えました。

野沢温泉観光

海外からのお客様をお迎えする取り組みは村への大きな貢献です日本経済の先行きが不透明な時期があってもこのスキー場の100年の歴史を振り返れば、野沢温泉の人々は、その時々の経済全体の状況にかかわらず、一貫して新しい、斬新なプロジェクトに投資する勢いと力があることがわかります戦前からスポーツイベントや競技の誘致に力を入れ国際交流などに力を入れてきた村は外国人ゲストを受け入れるための強固な基盤を築いています村の継続的な投資の目的は村の生活を継続させることにあると言ってもよいでしょう伝統になりつつある漸進的な投資は村の独特な文化への深い愛着と深くかかわっています

<span>長坂ゴンドラと</span>、<span>その施設は通年利用を想定して設計されており</span>、<span>グリーンシーズンの活発化目的の山への投資が行われております</span>。このゴンドラを足がかりに、<span>野沢温泉村はこれからも競技やイベントなど魅力的な場所であり続け</span>、<span>一年を通して</span>、<span>様々なお客様をお迎えすることができるようになるのです</span>。<br>

新長坂ゴンドラ