野沢温泉の祭りその2 湯沢神社の提灯祭り

現地編集者の上原和夫氏による

写真提供久保田真一

祭りは村の命

農耕や生活に欠かせない山や水などを共同で管理する村の重要な役割に応え、村の結束を高めるために多くの祭りが行われてきたのである。野沢温泉では、村人の大切な財産である温泉を守るために、村人同士の結束と協力が非常に重要であった。

豊作を祈り感謝すること、子供の誕生と成長を祈ること、夫婦円満を祈ること、病気や災害からの安全を祈ることは、村人共通の祈りであり、その祈りは祭りに反映された。

また、祭りの準備や開催に協力し合い、大切な技術や知識を伝承する場でもあった。また、娯楽イベントとしてエネルギーを発散させる場でもあった。

野沢温泉では、秋に湯沢神社の灯籠流し、冬に道祖神の火祭りが盛大に開催されています。

今回は、湯澤神社の「灯籠まつり」についてご紹介します。

フェスティバルの中心は若い世代

かつての村祭りは、年齢別に5組の青年・少年たちが先導していた。一番上は20歳から22歳、二番目は17歳から19歳、三番目は14歳から16歳、四番目は11歳から13歳、そして最後が8歳から10歳である。それぞれ役割分担をしていた。

この計画は、同年代のメンバーと協力し、与えられた責任を果たすことで、将来的に村をリードする役割を果たせるようなスキルを男性に身につけさせることを目的としています。

湯澤神社提灯祭り

湯沢神社の祭礼は「提灯祭り」とも呼ばれ、毎年9月8日、9日に行われる。灯籠祭りは、村全体を巻き込んだ大きな祭りである。

戦前は、獅子、猿田彦命、金のなる木、三十六歌仙、奴婢の五組が年齢別に編成され、祭りの中心的な役割を担っていた。時には暴力的な場面もあり、「喧嘩祭り」とも呼ばれたが、それがまた祭りの賑わいにつながった。

しかし、戦争で多くの若者が村を離れなければならなくなり、センターの若者たちのグループで祭りを続けることが難しくなってきた。

そこで、野沢組の総代が中心となって、若手保護者に運営を依頼し、野沢組が費用を負担して祭りを復活させることになった。以後、情熱的な若衆たちが協力して舞楽保存会を設立し、次第に昔のように盛大に祭りが行われるようになった。

現在では、野沢組総代、42歳の厄年、武学法尊会などが中心となっている。まず、十王堂で行列を作ります。出発前には、神様の通り道を案内する「猿田彦の御子田」による特別な儀式が行われる。赤い天狗の面と兜をかぶり、白い服の上に赤いベストを着る。次に、獅子は周囲の悪魔を追い払い、土地の神聖な霊を鎮める。続いて、子供たちの三十六歌仙が登場する。これが終わると、パレードは大湯通りを通り、神社に向かって移動する。

パレードは、メインの提灯を先頭に、様々な提灯が長い列をなして続きます。

行列の途中、要所要所で猿田彦の儀、獅子舞、三十六歌仙の舞など、さまざまな舞が行われる。獅子舞では、提灯を持った子供たちが「戦い」を繰り広げることもある。

猿田彦の御子が鳥居をくぐって境内に入り、神様が入る道を無事に切り開きます。その後、獅子が剣の舞を舞いながら石段を登り、社殿に向かう。最後に内殿で獅子の本舞が行われる。同時に、境内では三十六歌仙の舞も披露される。